今日は根来先生担当の経営学研究法(MBA編)
とっても哲学な夜に、時間通りに先生(特に入山先生)が揃ってスタートという奇跡(笑)
【前回までの復習】
- 研究は複雑なものを単純化して説明する。そうしないと一般化できない。理論同士が矛盾していたりもする。
- 現実の問題は意思決定を迫られている。色んな視点から見る必要はあるけれど、極論するならば、良い意思決定ができればそれで良い。
- 研究成果を経営トップが読む機会は少ないかもしれない。それでも、読んでる部下やコンサルタントの話を耳学問で聞いている可能性は十分ある。アカデミックな研究成果から良い概念が広まっていくケースは多い。
- 構成概念と構成概念の関係が命題で、変数と変数の関係が仮説(Bacharch)
- 理論(説明)は構成概念と多くの場合は分類を必要とする。フレームワーク(分析)は構成概念と分類の両方を必要とする。
【概念の恣意性】
恣意性とは完全に自由気ままというわけではない。ある制約の中で多様でありうるということ。
<概念の恣意性>
- 概念サーチライト論(社会学者パーソンズのメタファー)というものがある。暗黒の中で概念というサーチライトで照らし出されたことを事実として認識していると考える。概念がないと事実がわからない。
- サーチライト効果には「1:一緒に括られていたものを区別する」「2:新しい共通性を見つけてくくり直す」の2種類が存在する。
- 時代の中で新しく生まれてきた概念も存在する。(例:人権・民主主義・ジェンダー)
- ビジネスの中で現場から生まれてきた概念はアカデミアとの間を往復運動しながら育っていく。
- 既存の構成概念を使って新しい命題を作ることはあるし、反証することもある。論文の目標の1つは新しい構成概念を作ることとも言えるが、「これ新しいでしょ」と言えば面白い論文になるとも限らない。
- 概念は人づてに伝播していくので、多かれ少なかれ誤解されるもの。誤解を悪いものと考えるのは理論家のおごりであり、誤解もまた現実と考えるべき。現場感覚に合うように誤解されていくものなのだから。誤解されたからと行って価値がなくなるものでもない。
<定義>
- 内包による定義:ある事物に共通する属性を挙げて言葉で定義したもの。そう簡単には共有されない。
- 外延による定義:適用される事物の例を実際に示すもの。下手な定義よりは正しく伝わるが、厳密に定義するのが難しくなる。例示はできるが、多くの場合は全部を言うことはできない。
- どちらも定義するのは難しい。どこまで行っても完成しない。言葉による言葉の定義は、定義文の中の言葉が相手と同じ意味とは限らない。定義そのものはどこまで行っても不確定であるが、確定しているかのように言わないと研究にならない。
- 内包が小さくなると外延が広くなる。
- 一般に内包による定義で教える人はいない。具体的に含まれるものを伝える外苑の方がよっぽど使える。正確に伝えようとする場合は内包の定義を用いる場合もある。
- 定義問題を取り出すとビジネスの現場ではトラブルの元になるが、MBAたるものは定義にこだわるべきである。分析力は概念を必要とする。概念は定義を必要とする。こう定義してるんだろうなと想像することは重要。
- 犬を内包的に言葉で定義するのは難しいが、外延的に含まれるもの(しば犬・シェパード・コーギーなど)を挙げていくことはできる。赤ちゃんに犬を教えるのに言葉の定義を使う親はいない。実際の犬を見せながら「これが犬だ」と定義を教えていくはずである。
<概念>
- 日常的な概念はイデア論で語られることもあるが、社会科学の構成概念は時代によって移ろいゆくものであるので難しい。例えば、車道と歩道は自動車が誕生して生まれた概念である。それ以前は、馬車は人と同じ道を通っていたので車道という概念はなかった。
- カナダで妖怪ウォッチのプレゼンをやったが、受けると思ったら全く受けなかった。妖怪の概念が伝わらない。現物まで持っていたのに・・・召喚!までやったのに・・・ウケなかった。
- ソシュール言語学ではシニフィエ(記号の意味・概念)とシニフィアン(記号の文字・音声)が存在する。シニフィエが違うのが問題。定義に含まれる属性が違う。お好み焼きの概念が広島と関西で異なったり、たぬきそばの概念が関東と関西で異なったりするのはシニフィエの問題
- 言葉の意味は差異で決まると考えるのがソシュール言語学。何がスプーンかは、スプーンでないものを見ないとわからない。差異は社会によって異なる。何と何を区別するのかが異なる。概念の区分の違いでもある。
- シニフィエは分類を伴っている。区別したいから内包の境界を決めたい。区別したいからこそ概念が生まれる。もともと何かとの差異を持っている。
- 「Aじゃないもの」が空集合の場合はAに意味がない。研究対象に「情報を使う企業」という概念を作ったとき、「情報を使わない企業」が存在しないから定義が意味をなさない。「じゃない方」を定義の否定形以外の形で定義できると美しい。そうすると意味が人に伝わりやすい。
- 現実の事物は区切られていないが、概念によって区切られている。区切りかたは社会によって違う。概念は1個だけ見ていてもわからない。じゃないものを見ないといけない。
<猫ひろし問題>
- これを1コマやるのがこの授業の醍醐味。
- カンボジア五輪委員会が代表に選抜し、2012年ロンドン五輪の参加者として発表したが、国際陸連が不許可として出場できなかった。日本でもアンケート調査では反対が多数であった。
- しかし、2016年には普通にカンボジア代表として参加したが、さしたる反響もなかった。
- なぜ彼はロンドン五輪に参加できなかったのか?五輪参加者にふさわしいと思う人の類概念の属性を満たしていなかったのか?では日本に帰化した外国人で、猫ひろしとは要素が全く異なるのか?
- 誰も内包的定義・属性による定義を行なっていない。何かの価値観が引っかかっている状態である。
- 「あらゆる概念区分は価値観を伴う。」価値自由な概念設定はない。
<醜いアヒルの子の定理>
「醜いアヒルの子と普通のアヒルの子、すなわち、白鳥の子とアヒルの子とは、似通った2羽のアヒルの子が似ているのと同じ程度に似ている」
- 似ているポイントを調べる際に、属性はたくさんあげられる。どのポイントに着眼するかによって区切りが違ってくる。色に着眼するから白鳥がハブられることになる。
- 事物そのものが区分を決めているわけではない。何の属性に着眼するかによって区切りが決まる。区切りは言語が与えている。言語は属性を与えている。属性は無数に存在する。
- 分類するということは、ポイントとなる属性を選ぶこと。属性の選択には価値観が働く。人間の価値観の反映に過ぎない。価値観が普遍的である場合と限定的である場合がある、価値観がなければ区分ができない。着眼の違いに過ぎない。
- 日常生活で使う場合、価値が普遍的で安定している。しかし、研究で行う人為的な定義ではいくらでも変わりうる。
- 分類は属性によって決まる。どの属性によるかは価値が決める。
- 何のためにそれをやっているのかを明記すべし。人為的であるほど何のためにというべき。
<構成概念の設定と定義(技術の世代交代)>
- クリステンセンはHDの事例で、技術の世代交代ごとにリーダーが変わることを仮説的に述べた。Theoryとして技術のSカーブ理論を前提にしているようだ。
- イノベーターズジレンマはHBRに掲載された実務家向けの啓蒙論文。これに対する批判論文は査読付き論文によく掲載される。事例研究をやった産業以外にも大胆に広げて展開していたため、飛躍が大きかったのだろう。
- 持続的イノベーション・破壊的イノベーションが論文で議論する構成概念。
- 技術革新によって既存企業がひっくり返される。既存企業の脆弱さを解明したい。怠惰ではなく、頑張っているが故に失敗する。問題意識が共感を呼ぶため、理論が一気に普及した。
- 持続的イノベーションとは性能の向上を図るようなイノベーションのことで、技術自体がジャンプしているかどうかは問題にしていない。画期的・ラジカルな技術であっても、改善であればこちらに入る。よく誤解する人がいる。
<代替品の戦略>
- クリステンセンを尊敬してやまない根来先生の研究。
- クリステンセンは完全代替への移行を論じていたが、代替のパターンはそれ以外にも存在する。クリステンセンの選んだハードディスク産業などは特殊ケースと言えるかもしれない。
<アドナーの研究>
- SMJなどトップジャーナルに乗せ、HBRにも乗せ、本も書くようなスーパー経営学者。WBSで言えば入山先生に当たる。
- 部品工場も組み立てもディーラーも全て踏まえた産業エコシステムを考える。多くの産業は川上・川下がある。自分以外の人たちが抱えている経営課題・技術課題を変わらないと、自分自身も変わらないことに着眼した。
- 新規技術のエコシステムの課題と旧来技術のエコシステムの拡大機会で4象限に分けて分類した。
- 論文では、リソグラフィー業界で40年のデータで分析した。。査読あり論文では重回帰分析をしたデータ重視。厳密なデータと厳密な処理を用いて、この業界では実証されていることを示した。
- HBRに書くときにはフレームワークをうまく拡張して適用範囲を広げたあたりが上手い。
- フレームワークまで広めると実証性は弱くなるが、実業界の人にとっては役にたつ。
<概念の内包の明確化>
- 定量化できるように測定可能変数から概念を決めることは可能。
- 測定可能変数によって定義すると、日常の定義から遠くなっていく。論文では厳密になるが、共感を呼ばなくなる。
- 概念は概念で抽象化が高くて、代理変数として出した方が共感を呼ぶ。
<まとめ>
- 人為的・人工的な定義には内包による定義が必要。研究をやる以上は避けては通れない。
- 分類は価値を伴っている。価値はどの属性に着眼するかを決める。そして属性は無限に存在している。対象を客観的に分類することはできない。
- 自分の経験や問題意識に反映した概念定義をしているもの。
【ネゴロク】
- 私の最初の5分は漏らしても大丈夫な内容なんで。
- (教員が)時間通り始める習慣が、(学生が)時間通りにくる習慣を生む因果関係を信じることにしました。
- 入山先生の回を見て、グループ討議が良いと思った。僕が前で気持ちよく喋っていても良いのですが。授業の一部ではないオプションとして22時からグループ討議をします。帰りたい人は帰っても大丈夫です。
- 松下幸之助がSMJを読んでいたとは思えない。今存命だったとしても、入山先生の論文も読んでないだろう。でも若い部下が読んで耳に入れることはあるかもしれない。
- 理論家はいつまで行ってもうるさい。理論に関する理論を構築したら、めんどくさい。理論家はめんどくさい。
- コンサルタントになるには、とりあえず4象限で切る!それから軸を書く。・・・半分冗談で半分本気。
- MBAっていうのは、頭でっかちになったビジネスマン。うまく使えれば経営に役にたつ。悪い方が出てくると役に立たない。経営幹部全員がMBAの会社は怪しい会社だが、一人もいない会社も分析力のないダメな会社と言えるだろう。
- 研究者は現場から離れて高みに止まって偉そうにしているけど、ミーハーが多い。流行りに弱い。特に経営学者は弱い。現場が使っている概念の近くで研究をしたいという欲望がある。
- 経営学者はミーハーである。必ずしも入山さんのことではない、と付け加えておいてください。これはただの論評です。
- このページで100枚スライドあるんですが・・・(スタートして30分で13ページ)どうやって終わらせるんだろう?とても終わるとは思えません。とても傲慢な人だという人もいる。(注:実際にはスライドは170ページ用意されてました)
- セクハラという言葉・概念は1970年代にはなかった。当時なんて言ってたんだろう?僕がわからないということは告発されたことがないということです。
- では休憩なしで行きますねー
- 究極の眠気覚しはトイレに行くことを我慢すること。体にいいかどうかは別にして。
- みなさんがMBAをとって、将来社会で大きな付加価値を作り出せば、教育した先生が偉いことになる。うん、やっぱり研究者は偉い。ただし根来先生が偉いとは限らない
- 教員はわかっているフリをしないと商売にならないけど、本当はわかってないんだよ!いいね、学校の教員は受け売りして言っても商売になるから。・・・今日はジョークがハイエンドすぎるか。
- 完全に哲学科の授業になってきた。これくらいわかりやすくやってくれたらいいのに。私は大学時代、哲学科の授業で意味がわかったことは1回もないです。
- かっこいい理論は名前がオシャレ。イノベーターズジレンマ・レッドクイーンエフェクトとか、名前のオシャレさを普及させたい。
- お世辞と言ってお世辞を言うのは失礼。
- 学会で褒められ、実業界で褒められる。やっぱこうなりたいね。
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