今日は根来先生・入山先生の経営学研究法(MBA編)
感動の最終回!
【入山先生パート】
- 論文のテーマ=Research Question:明確な研究テーマの設定が重要。イントロと結論は同じことを書く。これができてない論文はひどい論文だし、そもそも論文ではない。
- イントロで書くべきこと:「What we know(先行研究)」「What we don’t know(わかってないこと)」「What we do in this study(やったこと)」を簡潔にまとめ、読み手の関心を引きつけるようにしっかり書き上げる。分かってたことと分かってなかったことの間を「gap」として入れておくとなんとかなる。リサーチをすることでちょっとだけ知が膨らむ。
- 論文を書くにはスケルトンをまず作るべし。書く内容・構造が完全に決まってから実際に論文に書くのが良い。研究者はこの構造を作り込むことを最優先でしっかりやる。インド出張の時も論文の共同執筆者と2~3日書けて「ここのロジックがおかしい」「整合性が取れない」などの議論を、ホワイトボードを使ってやりまくった。これができれば論文は書けたも同然。しかし、無駄に長いイントロややけに短い方法論・結果考察が多い。修士論文ではスケルトンを作っていないということ。
- プレゼンテーションは死ぬほど練習しなさい!!ジョブズだってリハーサルしてあの成果を出せた。どんな良い論文も、プレゼン次第でダメになる。
- プレゼンは「自分が話す」のではなくて「聴衆に聞いてもらって理解してもらう」ことを意識して文章を組み立て、聴いていただけるように工夫するべし。自分が話したいことを話し、自分が好きなように喋って自己満足して終わることが多すぎる。
- academic contributionは学術にどういった貢献があったかを3つくらい書く。「理論的に新しい視座を与えた」「こういった理論的貢献があった」「今までになかったこの業界のデータを使って当てはめて見た」などが代表例。
- Limitation:サイエンスには限界がある。レビュアーの批判をいかに避けるかが大事。明らかに指摘されそうなことを盛り込む。リミテーションを見ると、レビュアーとの攻防が透けて見える。
【入山語録】
- この辺を押さえておくと12月に死ななくて済むというポイントを解説します。
- 川上先生流の論文指導は川上先生のエネルギーがないとできない。「夜寝てないのよー」とおっしゃるのは当然。僕は夜寝たいので指導アプローチが違う。
- 僕はこういう人間だから・・・いや、人間的に問題があるという意味ではないですよ?
- (入山先生の評価は)ゼミでは穏便で通っているはず。仏の入山を自称しているわけですが、プレゼンの時だけは人が変わったようにキレる。喋ってると段々キレてきた。
【根来パート】
- 実証=統計的な手法を使うことと定義している。実証の概念は広い。現実的な妥当性・対応生が示されていることを実証と呼ぶこともある。もっと狭い意味で使っている。検証という手続きができていることを実証と呼ぶ。
- 事例研究は検証のしようがない(理論的には不可能)「それが原因だと実感できるか?」「後付けできるか?」「私にもそう思えるか?」が成り立つと、これを了解と呼ぶ。
- 半事実分析:「仮に原因がなければ、その結果は起きなかったと言えるかどうか?」ということを議論する。それが実際にあったからこうなったと実感できる=あったことを了承している。逆に、原因がなかったら結果は起きなかったか?半事実分析を示して、それを説明できれば了解されたと手続きすることもできる、
- 理論は共通性のモデル化である。1個だけ説明するのは理論ではない。1個だけを完全に説明仕切ることも理論ではない。共通するところを説明するのが理論。
- QCA:たくさんの事例研究と共通属性・特殊属性を集合論的に切り分けていくアプローチ統計的研究に事例研究が追いつきつつある。
- 統計:そもそも母集団の分布が違うでしょ?とはよく言われる。古典的には正規分布を前提としている。母集団は正規分布でなくても、平均との乖離は正規分布していると仮定している。統計手法も進化して、正規分布を前提としないものも登場している。分布が違うと架空じゃないかと言われる。
- 事例は全数できないから、他の事例に当てはまる保証がない。数が増えれば当てはまる可能性は少しずつ増えていくが、全数でない限り当てはまる保証はなくなる。原理的にはおかしいポイントがある。
- 例外問題:ここの事例には当てはまらない可能性は必ずある。事例は仮説の創造で、統計は仮説の検証。データをじっくり睨むこと・解釈することが仮説を生み出すこともある。因子分析によって仮説を作れることもあるが、統計の主な役割は仮説の検証と割り切った方が良い。
- 当事者が十分意識していない仮説が提示できることでは良い論文とは言えない。当事者にとって当たり前の仮説を提示するのが面白くない論文。当事者の言った通りになぞるのは面白くない。
- 学者は現実のことを知らないから、現実で聞いてきたことを「こんなことを発見しましたで賞」をもらえる場合もある。それは事例研究の研究者としては目標が低い。当事者自身が意識してなかった・隠れたメカニズムだった仮説を出すことが重要ということもあるが。
- 統計学的有意性は了解されるとは限らない。データはそうかもしれないけど、自分は思わないと答える場合もある。統計的有意性=当事者を説得するには弱いところもある。自分を過剰に特殊かする傾向がある。そんなに簡単には説得されない。当事者が了解できる仮説が検証できる。
- 構成概念と変数は別。測定するために変数を限定して設置している。代理性を持っている。全部は測定できていない。最も重要なことを測っていることになると想定している。構成概念を直接測っているわけではない。代理的に主張しているだけ。他の変数がないと言っているわけではない。変数は概念の全てを説明できない、代理化している。
- 事例研究で抽象化した仮説が成立する可能性があることを主張している。統計学者も日々進化している。共分散構造分析は30年しか歴史がない。日々進歩している。
<ここから大事な哲学テイスト>
- 共通性とはなんぞや?現象が次の現象の原因となること。因果関係の連鎖と想定するべし。多元性・間接的な関係が存在すると想定しておく。
- モデルの部分性:モデルはもともと1部分しか説明しておらず、全体を説明していない。もともと全部を説明する理論はない。必ず部分性を持っている。どの部分を持ってくるかは理論によって違う。
- 理論は概念化を含んでいる。概念化は抽象化だが、現実は分節化していない。
- クリステンセンの「破壊的イノベーション」と「持続的イノベーション」が提案されている。この区分分けは構成概念による区切りにすぎない。構成概念を持ってきて分けているだけで、現実の中に線が引かれているわけではない。
- 現実そのものがあったとして、構成概念がそれに対応しているとは言えない。概念化とは抽象化。理論とは部分性と抽象性の両方を持っているもの。社会科学の理論においては、部分性でもあり抽象性でもあるテーマを探索している。構成概念を持ってきた途端に構成概念が持ってきた分類で生まれる。そこに恣意性がある。
- 構成概念は人為的で安定していない。区切りは人為的に持ち込まれたものに過ぎない。着眼点によって他の抽象化も可能。どこまで行っても恣意性を持っている。
- ただし、恣意的だということはなんでもありということではない。現実との対応がないものは使われないし、検証もされない。区切り方が色々ありうることを言っている。人為的に、ある人が提案する。その区切り方は、ある理論が持ち込んだ区切りにすぎない、
- 理論とは部分性と抽象性を持っている。全体を表現したものでも、現実をそのまま説明しているものでもない。我々は現実を抽象化しないと捉えられない。
- 言葉の中には抽象概念が入り込んでいる。議論の骨子を明らかにしよう!
- なぜ議論の中に骨があるのか?例え話に過ぎない。
- モデルはある部分のみを使っている。分類は必ず存在する。1つかやってないように見えてもXバー(Xではない集合)が存在するから。成功と成功じゃないものを区分している。Xバーが空集合では意味がない。あらゆる理論は必ず分類をしている。構成概念にXバーを含んでいる。
- 必ず意図せざる結果が存在する。それがない認知はない。部分を持ってきても、大事なところは含んでいる捨て去った因果関係は重要でないところ。理論に入っていない要因が結果に重要な役割を果たす可能性は残っている。
- 因果関係全体を網羅することは不可能。予測のための原因網羅することはさらに不可能。新たに生じる原因はわからない。技術の予測はまず不可能。今わからないから新しい技術。今考えられる範囲でやっているし、連続的な成長しか想像的ない。
- 汎用性の広がりに具体的展望があるわけではない。将来誕生する新たな原因を理解することは原理的には不可能。プリテンドすることは必要だからやるけど、当たらない可能性は必ず残る。
<理論は共有性を目指す。しかし現実は特殊性を持っている>
- 全ての因果関係は同じでない。しかし、共通する部分に着目して部分だけを捉えれば共通した部分を抽象化できるし、共通する理論を作れる。違いの部分は取り去られているけど。
- 時系列で見た一つの企業でも当てはまる。同じパターンとして見られる。因果連鎖を全体として見たとき、企業は日々変わっている。
- 抽象化:ある定義をすれば同じだと定義できること。本質は同じだと主張することはできるが、「本質」という言葉を安易に使っているきらいはある。共通性は脆いと思われるかもしれないが、日々の行動そのものはパターン化されている。我が社の強さの秘密は仮説検証とパターン化している。だからこれをやらなくてはならない。パターン化は日々行われている。当事者が意識してやっている。パターン化は根拠がある。特殊条件もある。
- 事例研究で重要なのは「当事者が意識していない、隠れたパターンを見つけ出すこと」
<不在要因>
- 理論はとっても面白い性質を持っていて、不在要因で説明できる。現実の中にはなかった要因を持ち込んで「これがないからこうなった」と説明できる。理論はかなり自由に作ることができる。不在要因という概念を持ち込めば理論を作るのは容易。
- 理論の拡張は必ずできる。比較事例研究で違うものを探す。ある要因がこっちにないということを見つければ、新しい理論を主張できる。
【ネゴロク】
- 大変恐縮ですが、ほとんど休まずにアンケートに答えてください。
- 私は話を故意に難しくする。わからなくするのが私の役割。混乱係と言っても良い。半分冗談で半分本気。その代わりに話をクリアにして分かりやすくするのが入山先生のパート。物事は発散と収束を繰り返すことが大事。効率的にするのが学びにとって良いとは思えないから一旦、発散させておかないといけない。
- この授業も何回かやるうちに自分の立ち位置が分かってきた。怒りを発散させられると困るけど。
- 立論構造図はこれも1コマくらい喋れるんだけど、今年はやってない。宿題にだけ出した。理論と持論との関係も1コマくらい喋りたいんだけど、時間がない。猫ひろしを縮小したのになぜ時間がないのか?謎。
- 「本日の主張」が終わったから別のテーマに行ってもいいんだけど、そうすると資料の次ページから以降が全部無駄になるので続けます。
- 一般向けの本はアカデミックな本と比較して検証されてないことが書かれている。注意書きをぐちゃぐちゃつけると訴える力が弱くなるので、少ないデータで完全にわかっているかのように書く。アカデミックスタイルではなくてプラグマティックなスタイル。
- ビジネスマン向けの本が売れる人=アカデミシャンとして現実的な研究をしている人とは限らない。本が売れることは研究者にとっては恥ずかしい要素もある。すなわち大衆小説家になっているということ。本来、純文学は売れないところで勝負しているものだ。売れる本を書いている人はアカデミックな現実性を欠いて入ることが多い。・・・また入山批判になってきた。入山先生は純文学も大衆小説も両方書いているので素晴らしい。
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