『「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる: 看護の意味をさがして』(藤田愛:医学書院)
訪問看護師である藤田愛さんの著書。
入院先の病院でなく、最期まで家で過ごしたいと願う人・家族を支援し、希望を叶えるように奮闘する訪問看護師としての日々を描いた手記。
医療や製薬などヘルスケアに関わる人には是非一度読んでもらいたい1冊。
藤田さんと知り合うまで、訪問看護について全く知らなかったし、家で最期を迎えるという状況は思いつきもしなかった。自分の過去の経験からも、人の最期は病院で迎えるものとばかり考えていた。
科学的な見地で製薬・創薬のプロセスを調べたり、ビジネスとして医療や介護の業界を調べたりした経験はある。しかし、人が死を迎えること・家族の死に接することがどういうことかを具体的に想像したこともなかった。
私のようなタイプは決して少数派では無いと思う。そのため、訪問看護という仕組みを初めて知った時は驚いたし、藤田さんが著書を出すと知って飛びついたわけで。
「より長く生きる」という観点で考えると、病院で集中して治療するのが最善かもしれない。しかし、入院して面会謝絶の状態で治療を重ね、病院のベッドの上で医療関係者だけに囲まれて最期の時を迎えるというのが最期の希望とは言えないだろう。
一方で退院して自宅に戻って自分が長年親しんだ環境で過ごし、家族と近い距離で最期を迎えるというのは「より良く生きる」という観点では望ましいだろう。ただ、入院しているときのような24時間ケアがあり、状態が急変したときの対応レベルには限度がある。
元々「より長く生きる」「より良く生きる」を両立させつつ、当人の効用が最大化するように医療・ケアが行われる。しかし、その2つのトレードオフが表面化して、どちらかを選ぶ意思決定が必要になるのが、人の最期を迎えるタイミングなのだろう。
医療ケア関係者の仕事における制度や仕組みの中では、選ぶべき最適な選択肢は異なる。既存の医療システムは異なる立場の最適解を調整したバランスの上に成り立っているわけだ。従来の「病院で最期を迎える状況」から「自宅に戻る状況」にバランスを変えて再設計するということは、個々の担当者にしてみれば新たな意見衝突を生み出す。
本著で解説されている訪問看護は、当人・家族の希望を実現する上でのキーパーソンとも言える。自宅で過ごすからと言って、ケアを全て放棄したわけではない。本人や家族の希望をよく汲んで、病院ではなく自宅で過ごすための医療・ケアのあり方を再設計し、関係者との調整を行なっていく様子が述べられている。
当然、関係者の調整は早々簡単にできるわけではない。本著ではそれらのやり取りが生々しく描写されている。
さらに、病院勤務の看護師がすぐに訪問看護師としてパフォーマンスを発揮できるわけではない。訪問看護ステーションの所長として、部下の看護師たちをフォローしながらも各自で考えさせて答えに至るように育成の苦難も記載されている。
本著は必要なところだけ読んで済ますような構造化されたビジネス書ではなく、事実と感情の動きが両方記載された手記のスタイルになっている。時間は長めにとって読むのがオススメ。
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