本日はWBS稲門会サマーフェス!
幹事長の報告はあっさり終えてトークイベント。
早稲田大学のビジネススクールの歴史から今後に向けて語る講演会。
<松田先生 紹介>
- 山口の出身で、10歳上の同郷の人が早稲田に進学したことをきっかけに自分も早稲田に行きたいと決めた。高校2年の時。実家の農業を継ぐつもりだったけど。進取の精神との出会い
- 早稲田に進学後、ボート部に入部。ボートを漕ぐためには隅田川に行かなくてはならないので授業に出ている暇がなかった。進学した1964年は東京オリンピックの年で選手の飯炊きをやっていた。もう1学年上だったらオリンピックに出ていたかもしれない。
- 会計士を目指したのが3年生の終わり頃。その当時、堤義明の寄付した会館を学生に解放せよという「150日間の早稲田紛争」が勃発した。150日間授業が行われないと登録抹消になってしまうところだったが、直前になって封鎖が解けた。その当時は大学が革マルの拠点になっていて、当時は200人くらい動員されていた。5号館で革マルが全国大会を開くために商学部の地下に布団や機材を運び込もうとして、それを防止するためにピケを貼って7時間耐えた。1人ずつ引っこ抜かれて連れて行かれた。この紛争の中で学生服も割かれ、コートも引き裂かれた。最近まで記念に持っていたが、捨てちゃった。その時の仲間100名は50周年を経て解散した。学校で先生たちが浮き足立った結果、他の大学からヘッドハントがかかった。
- 紛争が終わった年に会計士になった。30歳までは大学の教員になるためにドクターまで行ったが、真面目に会計士の仕事をしようと思い立ってトーマツの前身に入社した。
- 仕事でやりたかったことは、大会社の会計監査。上場会社に乗り込んで不正会計を発見する。大会社全体の変革は難しいので、社長と直にやりたいと思って入った。年商 30億円~500億円規模の企業を1日~2週間の期間で粉飾や不正会計を見つけ、修正してから将来計画を立てていた。その間にも福岡事務所を作ったり、大阪事務所を立て直したりしていた。
- その後、ベンチャーキャピタルの草分けジャフコに関わるようになった。早稲田大学ビジネススクールの前身が面白いことをやっているらしいということで、非常勤講師として呼ばれた。土曜日に集中講座を7回やった。授業の中では大企業の粉飾の話をした。会社の中で、社長はどこまで知っていて、粉飾を直して正すためにどこまでやったかなど、リアルなドラマを語って好評だった。
- その1年制のコースには会社の中でイノベーションをやろうという方が入っていた。そのために実態把握をするためにはどうすれば良いか?を教えていた。
- スポーツでトライアスロンをやっていた。学連・千葉県の理事長などの役割があったが、内部のドロドロした紛争もあって外から見るほどスポーツの世界は美しくないもの。49歳の時に宮古島200kmトライアスロンに出場した。千葉県のトライアスロン協会ではトラブルが多く、300万の赤字を出したことがある。理事長として保証して金を出していたが、寄付を集めなくてはならない。学校がないときは千葉県を回って寄付を集め、会議をして組織を取りまとめる、そんな働き方をしていた。
- 松田ゼミに入る条件に、早稲田キャンパスから本庄早稲田キャンパスまで徒歩で行く100kmハイクに出る人と設定していた。100kmハイクとは「未知への挑戦可能性:やったことがないことに挑戦する意識」「限界的チームワーク:一人でやるのは大変。同じペースの人が助け合うこと」「自己の限界を知る:自分の人生の中で、自分の限界を何回試していくのか?クリアすると感動がわく。ただただ足を前後に動かすだけで体感できる」「家族を守る訓練:交通が全てストップした時にでも、子供を迎えにいくために歩けるか?という訓練になる」といったメリットがある。
- エッジネクストでは、早稲田大学は中核5大学にギリギリ認定された。大学出身で質の良いベンチャーも出て来るようになった。40歳で海外を歩いた方が欲しい。大学はWBS以外これをやらなかった。
- 8月31日に有明で大学発ベンチャーの授与式を行なった。早稲田はまだ出ていないが、私が審査員長をやっている間に出て欲しい。国の中で世界と戦えるベンチャーをモナコに送り込んで、世界のウィナーを決める。
<松田先生の早稲田の歴史>
1973年 昼間 1年制コース
1998年 学位のあるコースになった。研究所という制度ができた。
2003年 MOTコース開始。
三菱電機の社長・早稲田の総長・九大の総長・東芝の専務などが集まって技術を生かした高収益モデルを持った企業をどう育てるか?という議論をした。理系出身でドクターを持っていて、日本の会社の社長はいない。今の大学発ベンチャーは新しいテクノロジーを起こしており、ドクターを持っている。時代はすっかり変わっている。
- 商学部の先生たちが世界中の企業BSを調べ、理工学部の先生たちもMOTの研究を行って報告していた。せっかく調べたのに「コースをつくるんですか?」と聞いても「いや、作りません。調査しただけです。」との回答だった。せっかく調べてプランを考えたのであれば、リスクをとって実行したほうが良い。そこで、我々ビジネススクールの方でやると決めた。
- 調査・企画なのか、リスクをとって実行するのか?
- その時産業に勢いがあるなどの時代背景もあり、その度に専門職大学院がたくさんできた。たくさん作って、後から統合していこうという話になった。ただ、一旦出来上がったら、既得権益になってしまって、統合するのはとても大変だった。
- MOTはなくなると分かっていた。MBAの中にテクノロジーがどんどん入って来たら、単独でやる意味がなくなっていった。
<ビジネスに対して>
- 支援するプロの腕も上がって来た。常に変革しなくてはいけない、社内のイノベーションと、外の力をいかに使うか?コンビネーションを活用しなくてはならない。
- M&Aをやり続ける能力があるかどうかが重要。新聞ではうまく行かない事例ばかりが報道されている。最近はCVCが多く出て来ている。
- アクセラレーターはベンチャーのスタートアップをいかに大会社とマッチングさせている。大会社は自分の力でイノベーションができなくなっているように見える。
【パネルディスカッション】
松田先生・根来先生・淺羽先生の歴代ディーン(研究科長)によるパネルディスカッション
<根来先生>
WBSの歴史 何段階に区切るのか?
公式なジェネレーション評価はない
公式なジェネレーション評価はない
1:1年制の73年代 KBSに10年遅れてスタート
2:1998年 大学院になった。KBSに20年遅れ
3:2007年 商学研究科と同じ
4:2016年 現在の姿
KBSは2段階
1:1年制
2:大学院になってそのまま
WBSはKBSの次に古い歴史を持つが後発。
KBSと違って紆余曲折を経ている。良い意味も悪い意味もある。私立大学の中でも、WBSは伝統校でやりづらかったことをやって来た。夜間コースを設けたり、英語プログラムを50人規模でやったり。50人規模のファカルティ規模は日本では最大規模。ビジネススクールらしいプレゼンスが紆余曲折を経たが故にカリキュラムもリッチになっている。日本ナンバー1、 アジアベスト3に入るのは射程圏内。
<ネゴロク出張版1>
- WBSは、現在は大学の本流の中にあるが、過去の歴史の中では傍流的な位置付けだった。アジア太平洋研究科の中にビジネススクールがあるのはカッコよくない。逆なら良いんだけどね。
- 「商学」という概念が古くて、なんだそれ?ってなる。今やっと、経営管理研究科になってビジネススクールらしくなった。
根来「非常に長い感想でしたが・・・」
司会「ベルを持って来たところでした」
<浅羽先生>
- 今日は松田先生にあって話が聞けるということが参加した大きな目的。
- 今は研究科長をやっていて、早稲田に来たのは2013年に参加した。松田先生が辞めてから入って来た。
- 僕、今日ここで話すことがあんまりないんですよね。勉強させて頂きます。
<松田先生>
- 今日初めて浅羽先生と初めてお会いした。東大土屋先生のお弟子さんとのこと。実は土屋先生は早稲田の1年生コースに見えていた非常勤講師だった。土屋先生のご縁の延長線上にあるのだと思った。
- 根来先生の紆余曲折の話もあったが、大学の中で教員枠を1人増やすのは大変なこと。建物を誰が使うか?一度使い始めるとずっと居座る。使わせてもらっているところを拡大するのは本当にとても大変。こういったことは大学の中の政治で決まる。ビジネススクールは50人規模の所帯だったので、本部のミッションをダイレクトに受けて活動していた。
- 本部はビジネススクールに全部押し付けて来たが、ビジネススクールは本部がやりたいことを察知して動くことができたとも言える。
- 先生方が早い段階でチェンジして、WBSは年齢構成もバラエティに富んでいる。5年単位で見ると1割くらいの先生が変わっていくというのが、WBSの紆余曲折であると同時に強さの源泉だと思われる。自分が退官してから7割くらいの先生が入れ替わっている。大学を卒業して時間が経っている方も多いと思うが、20年経って、半分の科目が変わってない・先生も変わってないという学部もたくさんある。大学が一番変化していないのが問題。大きく変化したのはビジネススクールのプラス面かもしれない。中にいた時は大変だったけど。
<根来先生>
- 学部の母体の変遷や組織の変化では大きな紆余曲折があったため、WBSには1年制を含めた卒業生の全名簿はどこにもない。組織内のややこしい問題に巻き込まれてしまった。最大の財産である卒業生を把握できていないのは大問題。きちんとやるべきところができてない。
- 実は1年制のノンディグリー時代の卒業生には、上場企業の役員クラスが結構いる。しかし、ノンディグリーなので履歴書などに記載してくれない。本人にインタビューしている中で向こうから「実は卒業生なんです」と教えてもらったこともある。
- 早稲田大学ビジネススクールで「卒業生はどんな人がいますか?」という質問に対して、「古い時代の名簿がないのです・・・」というまずい状態。
<ネゴロク出張版2>
- 浅羽先生がここにいるのはとても大切。もともと求心力が弱いので、求心力を保つには長くディーンをやる必要がある。
- 自分はイヤイヤ6年やった。喜んで6年やったわけじゃない。
- 浅羽先生にはイヤイヤ6年やってほしい、
- しょっちゅうディーンが変わる学校は良くない。
- いやいやでもやるのがディーンであり、淺羽先生には諦めて犠牲になってもらうしかない。
<淺羽先生>
- 自分が良いことは人に勧め、嫌なことは人に押し付けてはいけないという教育を受けて来たので良く分からない(笑)
- 海外の強いビジネススクールのディーンは長い。海外にはプロフェッショナルなディーンがいる。彼らはディーンそのものが仕事なんだけど、日本のディーンにはプロフェッショナルはいない。
- 僕はやらないだろうなと思いますけど。
<松田先生>
- 文科省の仕事をやっていると、総長・学長が変わると大学が変わったことを実感する。本当にプロフェッショナルが変われば、リクエストも変わる。
- WBSという名称を使わせないという議論も昔あったくらい。マイナーな立場だから「偉そうなことを言うな」と言う論調もあった。
- 早稲田が世界の中で大学としてのミッションに対して対応力があったし、ビジネススクールは本部直轄で動いていたので、早稲田に対する有利なポジショニングがあった。長い間に対応力が磨かれた。
- もっと機動的に動くには、プロディーンで動くべきかもしれない。任期の2年なんてあっという間。
- アジア太平洋研究科はビジネススクール単独では学校がまとまらなかったために作った枠組み。学校としての残すためにおまけがついて来た。理工学部に行ったところもくっつけろという議論もあったが、今はようやく発展形になって来た。
- やはりプロディーンが必要。最低5年以上はプロとして回してほしい。
<淺羽先生>
- WBSを外から見た時、なんでこんなにぐちゃぐちゃ変わるんだろう?と思っていた。中に来るとダイナミズムのある学校なんだと感じた。
- 早稲田の中で勢いのある箇所は理工とビジネススクールだと思っている。アジア太平洋の頃からそうだった。
- 何かあったらビジネススクールに話が来るから、こちらからも言いやすい環境が揃っている。
<根来先生>
- 組織の基本構造は誰かがコミットしなくてはならない。全体のイメージを持っている人が、どういう人事をやるかをグリップしないと、分野ごとに分野最適な人事構想が出て来てしまう。他の分野の人が口に出せなくなると、分野の防衛心が働くようになってしまい、人を減らすべき状況になっても減らせなくなる。
- 人事構想を全体で決められるのが今のWBS。継続的にエグゼクティブプログラムを回すためにこういう先生が必要という点をグリップできるのはディーンだけ。
- アメリカの有力校では内部からディーンになる人が多い。外部からプロディーンを呼ぶのはシンガポールや香港、ナンヤンなど追いつく学校が多い。ただし、ディーンになったら、アカデミックキャリアはほぼ捨てる。学会にも来ない。その代わりに実業界を回る。キャリアパスを変えている。
<ネゴロク出張版3>
- ディーン手当なんて無いに等しい。ディーンになると学内会議が増えて忙しくなってしまうから、外に行く機会が減り、副収入が減る。
- 所得はディーンになると減る。だから、ディーンを引き受けている人は善意の人。
- 淺羽先生は向いてるんだよ。だから大丈夫なんだ!
<淺羽先生>
- 2つの国際認証を取ろうとして、両方へアプローチしている。数年の間には認証が取れるのではないか?
- もうすでに5年かかっているが、本当に順調には進んでいる。国際化が非常に重視される。日本のビジネススクールで英語プログラムが早稲田以上に充実しているところはない。ぜひ取ってくれとも言われている。好意的に受けてもらっている。
<松田先生>
- 将来の研究のためにファイナンスできるか?資金を調達して教員に投資できるか?教員の能力差と温度差はものすごくある。
- 今のように目的思考型の教員のスキルを保つことが必要だが、全員を同じスキルに保つのは難しい。
- ブランディングができれば高い授業料を払っても来てくれる。それ以上に効果があるはず。残念だが、教育事業に対するブランディングはほとんど成功していない。
- エッジプログラムは3年後には自立自走しなさい。そこまでのつなぎの半分はだすという条件で教育をしているが、社会人学生をいくらの授業料にするか?という議論では年間20万円などのアイディアが出てくる。100万単位で授業料をとる大学はない。それで世界に通用するわけないじゃない。世界に通用する内部の質を上げて行ってほしい。
<根来先生>
- ビジネススクールの先生が理解しなくてはならないこととして、アカデミックなら自分の弟子・自分のコピーを作れば良いが、実務家を育てないなら、コピーを作っても仕方がない。
- 学生のキャリアをいかにサポートできるか、自分の基準でなくて学生のキャリアを見なくてはいけない。
- ビジネススクールで最も大切なのは卒業生が活躍すること。活躍する卒業生を選択する視点が必要。この基準で面接や入試問題を作れる先生を増やしていなくてはならない。
- 倍率を保っているのが大切。できれば常に3倍にしたい。2倍以上の倍率を保って入れば、スクリーニング基準を保っていられる。
- 「入学後に良い成績が取れる人は、良い学生なのか?」というのは難しい問題。MBAは分析型の人材を育てる。ある程度の知力がないといけないが、Aクラスを並べれば良いビジネスパーソンになれるわけではない。必ずしも成績=ビジネスと思わない先生が必要。
<ネゴロク出張版4>
- 入試に専門知識が必要な問題を出すのは良くない先生。 昔のことだけど、正確に覚えていないけど、「日本とドイツの経済指標がどう違う」というような意味の設問を出したことがあった。 そんな質問に答えられるような学生なんていらないんだよ。この問題を出したなら、この問題すごくできた人を採用するのやめようよという議論が起こったくらい。もう昔の話だから大丈夫。
- ビジネス界で成功できる人をイメージできる人がやる人が必要。
- 自分はKBSで、ある1科目を除いてA+だった。それでも、社長室長が限界だった。分析して提案はできるが社長はできない。オールA+が社長には慣れない。せいぜいなってビジネススクールの先生が関の山です。
<松田先生>
- MBA生全員が社長になろうとしても困る。
- ただ、制度を作るのが法学部なのに。制度をどうやってくぐり抜けながらビジネスをやるか考える社長に法学部出身者が多いのは不自然。本来は真反対。
- 社長になるための要件は情熱があり、事業構想をするチームとして牽引できる人。本当に専門性がないまま序列的に社長になるのは良くない。もうそんな後追いをして社長になる時代ではない。役割分担が縦割りではなくて、他を知りながら分担できるのは良い。
- 日本は今、課題先進国であり世界にない実験国になっている。
<根来先生>
- 全員が役員層を目指すべき。
- それだけのアンビションがある人が来るべき。社長になるのは能力だけでなくてラックもある。大きな会社では、半分はラックだね。
<淺羽先生>
- 社長というよりもリーダーになれるか?だと思う。会社だけでなくて、社会に対して影響力・インパクトを与えるリーダーになれるかどうか?
- WBSのミッションの中にはインサイトフルリーダーが入っている。会社である必要はないかもしれない。
- リスポンシビリティを持って、社会に対してどんな問題があるかを見つけてくることができる。情熱・まとめる力も大切。WBSの中のミッションを広く捉えるのもアリではないか。そういう風に解釈すると良いのではないかな。
<松田先生>
- WBSはもっともフレキシブルに活動できる組織となった。
- 高齢化が進んだ日本は今や27.2%が65歳以上。これが40%まで行くと日本をどのようにしてイノベートして行くのか?ビジネススクールの大きなミッション。
- ソーシャルアントレプレナーはとても重要。インフラ事業やっているのは国の資金を若干使って民間の資金をイノベーションのためにどう活用するか?国が細って行くのに民間がどう活用するか?そうでない人よりも2倍は貢献して欲しい。
- 課題は山ほどある。
- 第4次産業の20年後を予想するだけでも「俺の仕事なくなるな」と感じるかもしれない。感じたなら、それがスタートの時
- 若者の能力・チームワークをアップさせてモチベートして行くべし。
<根来先生>
- あり方を考える時、手段と目的を間違えないで欲しい。認証を取ると国際ランキングに入ることになる。ランキングに載るようになるとランキングを上げたくなる。
- 確かにランキングが上がると、それなりの潜在能力の高い人が集まるようになるかもしれない。ただ、ランキングを上げるのが良いとは限らない。
- 来た人が来て良かったと思われるのがもっとも良い。来て間違えたと言われるのがもっとも良くない。卒業した後に思ってもらえることが重要。
- 実際の学校の効果は卒業した後に出て来る。WBSに来て良かったと思ってもらえるか?他のものが全部手段だとわきまえないといけない。
<ネゴロク出張版5>
- 京都大学文学部出身だけど、あの学校はダメだと思っている。浦和高校もやめといたほうが良い。常に学校選択を間違っていた。KBSは良かったけど。
- 自分の名声を高めることだけに力を入れる先生が良くない。学生が満足しない先生はダメなんだよ。自分の名声を高めるのを第1目標にするのはダメな先生。
<淺羽先生>
- 何かを決めるときは挙手でなくて拍手が良いね。
- ちょっとだけ違った観点で、自分がなんでWBSに来たのかな?と考えた時、日本のビジネススクールはまだまだ弱いよねと感じた。マーケットも小さい。それをなんとか大きくしたいと思っている。
- エコノミストの立場から、日本のビジネススクールは競争が弱い。WBSが強くなると、マーケットも大きくなるはず。
社会的に価値のある学校にすることが重要。
学校に勤めた時「お前ら、何ノロノロやってるんだ?中国・アジアの学校は日本のマーケットを狙ってどんどん進出している」「エグゼクティブ連れて来るから、向こうに送れば良い」と言われた。マーケットがグローバルになっている。ものすごく強い学校もある中でやっていかなくてはならない。
非常に濃密なトークセッションで、伸びるだろうと思って設けておいたバッファをちょうど使い切る神進行だった(笑)
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