2018年1月26日金曜日

20180125入山先生:トップ起業家との対話【第7日目】宮森さん

木曜は入山先生のトップ起業家との対話。

今日のゲストはゴーゴーカレーの宮森宏和さん!

【入山先生の講師紹介】
  • この日の宮森さんとお揃いのTシャツを着て登場するために、ゴーゴーカレーTシャツ(3,000円)を注文したのに・・石川県からの直送で、届くのは明日。授業に間に合わなかった。
  • カレーと言えば長内さん。メッセージ送ったのに返信がない。(その後、19時40分ごろ到着)
  • 今日は飛び道具枠。今日は何を話してくれるか予想できない。宮森さんが喋ってるの聞いたことがない。勢いと思いつきだけで頼んだので、どうなるかわからない。どうにでもなれという感じ。


宮森さん「おつカレーライス!」

入山先生になぜかお呼ばれした。なぜ呼ばれたかわかってない(入山先生:説明しましたよ!)

【宮森さんの生い立ち】
  • 自分が変わった人間だと最近気付いた。薄々気付いてはいんだけど、適性検査を受けたら 1000人に3人しかいない変わった人だった。変人で滅多にいないタイプだとようやく理解できた。こういう変人がどうやって生まれ育ってきたか?
  • 生まれは石川県金沢市。日本海側生まれの人は「裏日本ですね?」「いつも雪降ってるんでしょ?」って言われますよね。
  • 実家は兼業農家で田んぼの中にいた。米を作っていた。小学校の時ゴールデンウィークに何やってたか?田植えですよ。小学校低学年の時はおかしいとも思わなかった。高学年になると、自分は周りは違うとわかった。
  • 中学・高校までまともではなかった。落ち着きがない協調性がないと通信簿に書かれる子供だった。ただ、周りの経営者の人たちもほぼほぼ同じように言われていた。落ち着きがないと通信簿に書かれた。自分では落ち着いているつもりだったけどね。はははは!
  • 小学校の時、ぶっちゃけ小学校の時は退屈だった。記憶力がよくて、一度聞いたら何でもできた。勉強はせずに遊んでばっかりいた。
  • 中学校の時はあまり良くない人たちとお付き合いして、あまり学校に行かなくなった。タバコとかいろんなものを吸った。昭和48年生まれで第2次ベビーブーマーのピーク。1学年で15クラスあった。
  • 高校も公立の一番下。あまり学校にもいかなかったので首の皮一枚で卒業した。
  • 社会人第一歩はパチプロ。中学の時からパチンコやって、そっちの方が稼ぎがよかった。最低でも月30万円あった。多い時で100万あった。就職した同級生の給料聞いて、お前らよくやるねって言ってた。パチプロには社会的地位がない。人に聞かれたらフリーターですって言ってた。
  • パチンコしたことある人います?遊びでやってるんじゃない。勝つか負けるかが経営にすごく役に立ってきた。負けちゃダメ。モーニングってあるんですよ。朝一に行くとかかるから、千円だけ握りしめて行って、掛からなかったらやめる。マイナスは千円で確定。やめ際を見失わないこと。会社もそう。撤退とかのやめる際を決断することが大切。それを味わった。
  • 負けてくると取り返したくなるけど、そこで続けない。麻雀してても競馬してても経営も同じ。運。自分の力でないものに左右される。パチンコに行くと、どの台に座るべきか、台が光っているのが見える。でも、その台と違う台に座って始めて、その台に座った別の人が連チャンを始めると、自分の台でも勝ちたくなる。でも、ダメな台に突っ込んじゃいけない。そこではすぐに帰るべし。


【パチプロから社会人へ】
  • その後、専門学校に入った。パチンコ続けるために学生の身分が欲しくて旅行の専門学校に行った。学校で、取り扱い旅行主任者の資格試験に受かる/受からないの賭けをやった。やっぱ賭けないと面白くない。経営は人生賭けるんでしょ?本当に全部なくなりますよ。賭けるものがあるから頑張れる。
  • 旅行の資格を取って、就職する気もなかったけど、親から頼むから仕事してくれと言われて、会社の見学会と思って行ったら役員面接だった。そこで8年半添乗員を金沢市でやっていた。
  • 営業マンは自由だった。4月1日に入社して、名刺もらって、その日の午後からどこでも好きなところ行ってこいという感じだった。そこでパチンコに行った。翌朝からパチンコのモーニング行って、外れたら仕事をすると言うダブルワーク。
  • そのうち営業も楽しくなってきた。勝つか負けるかじゃないですか。成績が伸びてきたら楽しくなった。添乗員はただでいろんなところいける。
  • バブルの前は団体旅行がたくさんあった。その後は格安格安のツアーばかりになった。勤めていた会社はどんどん業績悪くなってきた。昼に電気消せとか。我が社でもホームページ作らなくては!作るお金もチラシを印刷するお金もなかった。
  • 良い人はやめていく。それを見て、自分が社長になって変えてやろうと漠然と思っていたけど、吸収合併されてなくなる側にいてその可能性は無くなった。28−29歳のころ。30代はどうしていくか?その頃にはもうパチンコはやってなかった。


【宮森さんの転機】
  • 200348日、石川県が誇るスーパースター松井秀喜がヤンキースに移籍して、デビュー戦で満塁ホームランを打った。それがすごく嬉しかった。これはすごいと。
  • 嬉しいと同時に、社会人になって忘れてたけど、20歳の時にニューヨークに行ったことがあること、俺はニューヨークに行くんだった!と思い出した。どうやったらニューヨークに行けるか?と考えた。政治家にならんか?という気持ちもあったけど、税金使っていくと叩かれるのでやめておいた。
  • 世界を飛び回りたいと言うビジョンがあった。そこで考えたのがカレー。金沢だったら普通にある。このカレーだったら東京やニューヨークに行けると思った。ニューヨークに行きたかった、メジャーになりたかった。何かでメジャーになりたい。ビジネスでメジャーになる!これしかない。


カレーマイスターの資格を持つ、日本一カレーに詳しい経営学者 長内先生登場


【ゴーゴーカレーの夜明け前】
  • 金沢で店出して、と思って物件探していたが、ピンとこなかった。「人探してるなら東京行けばいいんじゃないか?」と言われた時にビビッときた。「これで出来た!」と思った。何にもないんだよ?でも、次の日に会社に辞表を出した。その時は見えた。光った瞬間が見えた。
  • 先に東京に行って、それからニューヨークに行けば良いと思った。人に聞かれたら「カレー屋をやる」と答えたけど「事業計画書はあるのか?」と言われた。そんなの知らなかった。「東京甘くない。商売舐めるな」とか散々言われた。
  • 20038月に会社を辞めた。しばらく寄り道しながら1210日の30歳の誕生日に有限会社を作った。何もないのに。逃げ道絶って物件探し。東京の新宿には200万人いる。そこには凄い人がいっぱいいるし、宝物に見えた。妄想が膨らんだ。
  • 物件探しでは、当時はスマホもない。東京に住んだこともないし、駅の名前聞いてどこですか?ってなる。高田馬場の不動産屋さんに行って「君何やりたいの?」って聞かれて、カレー屋の話をした。そうしたら「君の情熱わかったから明日の10時に来い」って言われた。そこで不動産屋のシステムを使わせてもらって、そこで毎日物件探しをした。12月・1月・2月で何百件も物件を見た。そのおかげで地理感や相場観がわかった。自分でやった。
  • 物件は待っててもダメ、自分で回ったのがよかった。オープンは5月5日と決めていた。55だから。永遠の記念日になる。
  • 1号店は新宿の地下の8坪。外から全く見えない。何やっても潰れる物件だった。ここだけはやめろと言われた。ただ、物件探しに疲れたから「もういいよここでやる」と決めた。
  • 店舗を借りようとしても、当時の自分は素人のプータローだった。普通は店舗を貸してくれない。その不動産屋さんが「この人は本気だ」と仲介してくれて契約をまとめてくれた。そのおかげで1号店を出すことができた。
  • ぜんぜん時間が足りなかった。店舗作るのも「自分たちでやるから材料持ってこい」と内装から床上げとか、深夜の工事とか買い出しとか仕入れとかをやっていた。何とかなった。お世話になった人を呼んでカレーを振る舞った。三人で住んでた部屋に帰って乾杯した。
  • 20045月5日オープン当日なのにみんな寝坊した。それまで不眠不休で頑張って、最後に乾杯して寝たら、寝坊した。オープン1時間前に起きて、走って行ったら店への階段に人が並んでた。ゴーゴーカレーから並んでた!オープン記念の55円キャンペーンをやってた。3日間のキャンペーンは準備がずっと後手後手に回っていた。
  • 5月は500円にして、6月から定価にした。5月には毎日来ていた常連さんが定価にしたら1回も来なくなった。月商300万円。損益分岐点も簿記も知らなかった。


【ゴーゴーカレーの成長】
  • ポスティングやって、凱旋やってた。前年比120%で目標立てて、実行していた。
  • 行列の整理する人もいないから周りから苦情がきてたけど、その地域で一気に知名度が上がって、口コミで広がった。
  • その当時は13年前くらいだけど、ちょうどブログが始まった頃。何でカレーの写真撮ってるんだろ?って思ってた。2chで皆でフォローしてくれて、助けられた。雑誌にも出るようになった。テレビ局の人もきてくれるようになった。
  • 2004125日に二号店を出した。1号店では8坪でカレー作ってた。100kgの釜でお店終わってからやるから、120時間労働だった。
  • 日経トレンディのカレーチェーン選手権で取り上げてもらった。当時1~2店舗しかないのに、他が△とか×ばかりなのに、うちは二重丸で取り上げられてもらった。
  • 店舗では「石川県のコメ」「手仕込み」「揚げたて」「手作り」といううんちくを伝えていた。
  • 味には絶対自身があった。東京に来て、ぶっちゃけ美味しいカレーがないと思った。これが美味しいのかな?と思っていた。自信を持ってやりきった。
  • ゴーゴーカレーでは美味しさの秘訣を刷り込んだ。実際5時間かかる。手抜きじゃない。55の工程がある。カレーは順番違っても味が違う。5分・10分単位で作業がある。それが変わると全く別物。
  • 金沢のターバンカレーという店があって、店主に頼んでレシピを教えてもらって「俺にやらせろ。これをニューヨークに持っていくんだ」と何回も通って口説いた。最後にはわかったよと言ってもらった。米の炊き方、カツの仕込み、ルーの作り方を修行させてもらった。教えられても何ヵ月かかってもできない奴はできない。やるかやらないか。
  • マニュアルも何もない。夜に材料が欠品になったらタウンページ開いて「肉屋はどこかないかー」と探した。昼間にキャベツなくなったら、高島屋に行って買ったけどめっちゃ高かった。


【ゴーゴーカレーの特徴】
  • 黄色・赤・黒のカラーはマクドナルド。世界に何万店もある。意味もなくその色になってるわけじゃない。この色にしようと思った。黄色はカレーだ。キレンジャーだから。
  • トレードマークも必要。クロネコヤマトとかミッキーとか。猿にしようと思ってデザインしてたけど、猿はインパクトがなかった。すると、マットにゴリラがあった。
  • なぜゴリラの周りは丸いのか?スタバですよ。スタバは世界中にある。丸のデザインには意味があるはず!これにしよう!と思った。頭を突き出した、スタバより頭1個上に行くぞ、スタバを越えようと頑張っている。パクリですよ。
  • パナソニックが電気発明したのか?トヨタは自動車を発明したか?そうではない。パクリですよ。かっこよく言えば イノベーション。iPhoneだってパクリパクリじゃないか。大事なことは本質。単なるものづくりじゃない。なにをやるかだ。


【ゴーゴーカレーの経営】
  • 散々「商売なめるな」と言っていた奴が、秋葉原と金沢に同時オープンしたのを聞いたときに「まぁ東京には人いっぱいおるからなー」と言ってた。勝手なこと言うなーと思った。人の言うことほどあてにならない。
  • 多数決でやってたら否決されるような意思決定をしてきた。賛成派は数%だけで、自分を入れれば賛成派は1割しかしない。多数決がいいとは限らない。
  • ニューヨーク店は200755日にオープンした。東京の数倍大変だった。TOEIC350点でも、世界中どこでも行ってる。
  • 2006年くらいからニューヨークに行き始めた。mixiでニューヨークに住む松井好きコミュニティの人たちにニューヨークに店を出したいと行ったら協力してくれた。やりたいビジョン・絶対やると言うビジョンが大切。
  • アメリカは本当に仕事が進まない。アメリカは、本当におかしい。注文したカレー用の釜が、何度確認しても指定した日に届かない。「聞いてません」が毎日ある。届いたら壊れてたり別のものが届いたりとか。クリーブランドから4月末に届くはずのものが「出ました出ました」って言われる。蕎麦屋の出前かよ。前金半分払ってたのにオープン前日の54日になってもこない。仕方ないから皆で手鍋で作った。草津温泉の湯もみみたいなもんで、汗だくになりながら55日に何とかオープンした。55セントキャンペーンですごい行列。メディアも来た。
  • 56日にようやく釡が来て、オープン翌日が臨時休業。100kgくらいある釜を業者は店の前の歩道に置いて帰ろうとするから、店内に入れるところまでやれと言って大げんかになった。業者もキレて釜を持って帰ろうとした時は慌てて止めた。でも、本当に困ってしまって、しゃがみこんで立ち上がれなくなった。皆に声をかけたら十数人集まってくれて、いろんなものをばらして店内に入れた。今は月商10万ドル。ずっと売上増で来ている。
  • 散々ニューヨークはやめておけと言われたし、無理と言われた。ニューヨークは偉い人がたくさんいる。金融とかメディアの人とか。実際食べに来てくれている。
  • できる/できないじゃない。やるかやらないか。
  • アメリカでは本当に交渉だらけ。言うのはタダだと思って顔さえ見れば「給料上げろ」「休みくれ」と言ってくる。こっちから送り込んだマネージャーは真面目に答えようとして潰される。


【ゴーゴーカレーの落とし穴】
  • ゴーゴーカレーグループ 伸びて来た。フランチャイズも増えて、IPO目指していた。シンガポール出したり、香港に出したり、ブラジルに出したり、色々出していた。
  • 20141210日は40歳の誕生日で創立10周年。結婚記念日でもある。その時何をしていたか?実は銀行にリスケのお願いに回っていた。1日で銀行10行回った。会社が財務的に危なくなっていた。横領まがいや詐欺まがいもあって、1年だけで5億円の損失が出て、こらやばいとなった。
  • そこで銀行に行ったらボロクソに言われた。最初行ったらお茶出てくるけど、リスケの話をしたら皆顔色変わって「は?」ってなった。それから毎月バンクミーティング。会社はこうやって死んで行くのかと思った。本当に会社が死ぬ思いをした。
  • メディアに取り上げられたりして、社長社長とちやほやされた。ワンマンみたいになっていた。そこで気づかされた。痛い思いをして、骨身にしみて、自分に何が足りなかったのか?会社が伸びるも倒産するも、経営力だと思った。ある人は会社を伸ばすし、ない人は会社を潰す。
  • そのときまでは経営は気合と根性だった。やるかやらないかだった。それにも限界があった。それでいろんな経営塾に行って学び直した。経営学があればできるのかと言うわけでもない。創業の時とは違うかもしれないけど、大事なのはビジョン。
  • 最初のビジョンだったニューヨーク出店は達成できた。その後、何となくIPO。なんとなく500店舗。それは単なる数字で、違っていたからおかしくなった。


【ゴーゴーカレーの再出発】
  • こうしているうちに生まれたのがレトルトカレー。もともとあった企画が延び延びになっていた。
  • 顧客の価値って何だ?と考えた。「我々の顧客は誰だ?」と考えた答えはバイヤーだった。そこで、ドンキホーテ・ドラッグストア・イオンなどに聞いて回った。すると、バイヤーの価値は「売れるものが手に入ること」。売れる商品が欲しい。もっと商品開発しろ。俺たちが売るからと言われて、それに応えた。ドンキホーテのカレー売上ベスト3に入っている。
  • パッケージは金にした。セブンの金のシリーズを真似た。金にしたら売れる。金沢=金箔=金です。これから商品開発する人がいたら金ですよ。オリンピックで騒ぎ始めるから金!
  • ローソンではマルちゃんとコラボしてゴーゴーカレーヌードルを出した。
  • ゴーゴーカレーロースカツサンド。これは美味しい。
  • 辛口も出した。辛ラーメンのパクリ。あの有名なあれですねってなる。
  • 名古屋によくあるねって言われる。GoGoCoCo壱に見えるらしい。
  • 会社には55周年のところがいっぱいある。富士急ハイランドとかのコラボ企画が向こうからくる。ジェットコースターや観覧車がゴーゴーカレーラッピングになってる。リポビタンDとかバスクリン、苗場スキー場とか55周年が目白押し。向こうから来た。
  • これから時代はヘルスケア。カレーに機能性を持たせようと思って、味の素と共同開発した。アミノ酸のロイシン入りアスリート専用カレー。リオの時に試して二人入賞した。オリンピックだからスポーツするんですよ。ほっといても報道してくれる。色々仕込んでいる。
  • 団塊の世代は5年後~10年後は病院や介護施設にいる。認知症にならないカレー、免疫力をあげるカレー、ガンと戦うカレーなどを広めていこう!
  • 単なる外食じゃない。カレーの専門商社として世界一になろうと思ってインドカレー屋を買った。それを世界に出そうとしている。単なるインドチックの店でなく、カレーのプラットフォームを作る。スパイスとかを牛耳ろうとしている。
  • 大事なのは人。アマゾンでもウーバーでも人が必要。学習・成長・ビジョンに乗っかってくれる人。企業は人。この指とまれで集まる人。いかにビジョンを共有できるか。
  • 飲み会ばかりやっている。タバコ部屋には社外の人もいれてやっている。10年支えてくれている業者はゴーゴーカレーのファン。大変な時は本当に助けてくれる。
  • ビジョンがわからない人だったら、中途で入れてもできない。ゼロイチでやって行くには頭が良くなくても、このブランドが好きか?情熱があるかミッションやビジョンを持っているか?になる。経営者の仲間になるのだから。
  • 働き方改革 女性を成果を出している店長2人を執行役員に引き上げた。成果を出している人を引き上げて、できないことは他の人にやってもらう。変わりつつある。
  • 現状に満足しない「不満分子」こうした方がいい、ああした方がいいとうるさい。満足分子は満足しちゃうし、人の話に流される。全体の9割は満足分子。
  • うるさい奴こそ何かを持っている。アジアも。そう言う人を追いかけている。好き勝手やらせれば良い。そう言うのは千人に三人しかいない。そんな人と一緒にやると伸びる。
  • 新しいものを生み出していくイノベーション。世界に行かないと日本はどんどん落ちて行ってる。変わっていない。ビリオネアがどんどん増えているのに。世界アジアか。中国はアメリカを抜きますよ。インドもそう。日本を見て来たのは経団連と連合ですよ。それに巻かれたてなかった。自分たちは安定安定ばかり言っていた。中国は嫌だとかじゃなくて、アリババ・テンセントやインド企業はもっと大きくなる。我々がやらなければならない。いろんな世界と組んでやらないといけない。
  • 金属の皿が嫌とか、勝手にソースかけるなとか、スプーンを出せとか言われるけど、基本は「好きな奴が食え」と言うスタンス。CoCo壱と同じ戦い方をしてもいけない。私たちは業界2位と海外から投資家は見られている。CoCo壱に話がいって、彼らが断った案件はうちに来る。でもカツカレー専門店だったら世界1位。矛先や見方を変える。
  • 発想は移動距離に比例する。アジアやアメリカとかに行ったことない人は発想がしょぼい。
  • 直感が悪いわけじゃない。チームでやらないといけない。スピードアジアは本当に早い。もたもたしてたら成功できない。行動は即実行ゴーゴー。
  • 勝つまでやるのが大事。失敗なんてない。勝つまでやれば経験になる。

お土産にカレーをお持ちくださった宮森さんと話す入山先生






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