2018年3月5日月曜日

20180305:最初のRPGを作った男ゲイリー・ガイギャックス〜想像力の帝国〜

『最初のRPGを作った男 ゲイリー・ガイギャックス~想像力の帝国』(マイケル・ウィットワー著 柳田真坂樹・桂令夫訳:ボーンデジタル)

RPGの元祖:Dungeons&DragonsD&D)の生みの親、ゲイリー・ガイギャックスの生涯を解説した伝記。200834日に亡くなってからもう10年。

日本でもドラゴンクエスト・ファイナルファンタジーなど多くのコンピュータRPGが人気を博している。元々はペン・紙・ダイス(サイコロ)・フィギュアを使って、計算式に基づいて与えたダメージや残りヒットポイントを管理するテーブルトーク型RPGから始まった。

D&Dが登場する以前から、局地戦を再現するウォーゲームや多人数で遊ぶボードゲーム、ミニチュアゲームは存在していた。ウォーゲームは史実や物語で語られる軍隊の戦いをもとにした戦略ゲームであるため、プレイヤーは軍隊の司令官となる。当時のウォーゲームでは、用いる1つのユニット(コマ)が個人ではなく部隊を表現することが大半であった。

ゲイリーはD&Dよりも先、1971年に中世の戦いを扱うウォーゲーム「Chainmail」を開発した。「Chainmail」の中では1つのコマが1人の兵士を表しており、個人の強調と個性づけが大きな特徴となった。しかし、本当の意味で「Chainmail」の人気を支えたのは、最後に付け加えられた「ファンタジー・サプリメント」であった。ここで魔法やファンタジー小説に登場する生物(オークやドラゴンなど)を採用可能にすることで、中世のウォーゲームとファンタジー小説を組み合わせることに成功したのだ。
ゲイリーが大好きな「コナン」「ファファード・アンド・グレイ・マウザー」「エルリック」といったファンタジー小説の要素をふんだんに取り込み、「Chainmail」のフィードバックを取り入れて1974年にはDungeons&DragonsD&D)の発売にこぎつけた。

ゲイリーは基本的にゲーマーであり、優秀なクリエイターだった。一方で、この分野のゲームを確立した開拓者という大きな影響力を持っていたにもかかわらず、企業経営の面では苦難の連続だったことがわかる。アナログゲームのベンチャー企業という位置づけであったが、起業した時の経営パートナーとの持分をどうするかという設計の部分では苦しめられた。ゲームを世に送り出すにはお金が必要だが、今までにない斬新なゲームであるが故に大手ゲーム会社や出版会社は協力してもらえない。当然、そのゲームに可能性を感じて出資してくれる数少ない人を邪険にすることはできない。

しかし、その後D&Dが爆発的にヒットして大きく売上を伸ばしていく中で、起業当初に取り決めた小規模経営を前提とした持分の設定・経営権・利益分配のルールが大きな足かせとなり、数多の争い・諍いの種となった。結果的にゲイリーは会社を追われ、その後も経営者に恵まれなかった同社は最終的には「Magic the Gathering」で有名になったWizards o the coast社に買収された。

個人的には1995年に上京してすぐにAdvanced Dungeons&Dragons 2nd editionからD&Dにハマった口。ゲイリーの関与が薄れていた時代ではあったが、倒産寸前の迷走した時代はリアルタイムに体験したので良く覚えている。新宿のショップに行っても予定していた製品のリリースが入荷されないようになり、謎のカードゲームやダイスゲームを販売し、他社の作品をパクったようなシステムに過去の名作の名前をつけてリリースするなど、ただのゲーマーの目から見ても明らかに不可解な状況であった。

起業経営を学んでからこの本を読んだことで、当時の内情が理解できるようになった。ゲームには全く興味がなくゲーマーを軽蔑する外部から来た経営者、企業の取り分を増やすためにクリエイターへのインセンティブを減らした結果生じた人材の流出、需要予測が苦手で大量の在庫に常に圧迫されるキャッシュフロー、利益分配権を持った過去の社員からの訴訟などなど、トラブルには事欠かない。
しかし、これらのリスクを恐れていてはD&DというRPGの元祖が世に出ることはなかっただろう。今でもRPGで遊ぶことが出来ているのはガイギャックスのイノベーションから始まったと思えば、感慨深いところである。

ゲームを遊んで欲しいという以前に、「何より自分がこのゲームで遊びたかった」というゲーマー魂からD&Dを生み出したゲイリー・ガイギャックスの人生が分かる本。



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