職場のご近所さんである日本学術会議にお邪魔してフォーラム「研究者の研究業績はどのように評価されるべきか―経営学における若手研究者の育成と関連して―」を聴講。
基調講演の1つを淺羽先生が担当。
開会の挨拶:三成美保先生
- 学術フォーラムでは国民の関心が高い問題、最先端の研究動向を披露して双方向の対話を行っていて、年間10件ほど選定されている。
- 研究評価は重要かつ深刻で決定的な問題になる。従来は科学者コミュニティ内部による専門家評価を基本としてきた。しかし、それだけでは通用しなくなっている。評価は研究の発展と国民への説明責任を果たすべきもの。
- 現状では、大学の機関評価に研究者評価が使われているのは避けられない。研究分野ごとに研究者評価が異なっていて、共有されていない。
- 2015年6月8日 国立大学文学部廃止をにおわせた文部科学省の通知は問題になった。真剣に評価の問題に取り組まなくてはならない。
学術会議 様々な提言
- 人文・社会系の分野における研究業績評価のあり方について:分野の特性に応じた配慮を行うべきである
- 我が国の研究評価システムの在り方 ~研究者を育成・支援する評価システム への転換~:評価疲れの中で、未来志向の研究評価をするために若手研究者支援が大切。
- 学術の総合的発展をめざして ―人文・社会科学からの提言―:重要な柱の1つで、研究の質を高める指標・総合的評価が必要。質的評価が馴染まない。
経営学委員会での取り組みとして、研究評価分科会との取り組みとも連携して進める。未来志向の人文社会科学の研究評価のモデルを作る。
趣旨説明 徳賀芳弘先生
- 経営学とは商学・会計学全体を指している。
- 人文社会科学全般は科学性を重視して、1980年代以降に世界で急速に研究方法の統一・標準化が普及している。研究の優劣識別可能性を高め、査読の前提条件を示している。
- 科学性を付与し、研究方法論を吟味して事実と検証して表されるのは大事で好ましい変化。その一方で、多様な研究方法を認めることも大事ではないか。この点は見解が分かれるところ
- 新規採用や研究業績の尺度として重要視されるようになる。大学ランキングとして使われるようになると弊害が生じるようになる。査読付き雑誌にどれだけ載せるかだけを考えてしまい、査読付き論文に通りやすい論文を書くようになる。これは深刻な事態をもたらす可能性がある。PDCAサイクルを回せと言われていて、それが状態を悪化させる。
基調講演1「学術研究としての経営学―研究動向と課題―」上林憲雄先生
- 2015年の 6・8通知の中で、文部科学省は組織の廃止・社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むことを述べている。「役に立たない学問には国のお金を配分しない。役に立つ学問にせよ」といった発想が日本社会全般に蔓延している。
- 経営学の中に、自然科学系の評価尺度を持ってくるのには慎重であるべき。尺度の採用はバランスを欠いていて若手研究者が縮こまってしまう。このままでは経営学の発展・学術領域の発展が阻害されかねない。
- 経営学とは何か?定義が簡単なように見えて難しい。業績評価・若手育成の問題とも深く関連する。狭義の経営学・会計学・商学が含まれていて、下部領域で何を研究するのかも異なる。それぞれの領域で業績尺度も異なる。
- 会計学は狭義の経営学とは独立して発達してきた。経営組織・経営管理と財務は異なる。
- 学問領域の定義や射程が不明確。経営学固有の方法論は十分コンセンサスがない。経済学・社会学など他の学問を応用していることが多い。
- グローバル市場主義(新自由主義的な施策)が進展してきた。学術の世界に大きな影響を与えている。
- しかし、この進展によるネガティブな影響が出てきている。個別の分野へ専門化・細分化していくのはしかるべき発展のあり方ではある。ただ、個々の研究分野の枠を超えて大きな問いに答える研究が少なくなっている。そうなると学術としての全体性を考えることがなくなる。この状況を放置していると、全体としての経営学の進展が考慮されなくなってしまう。
- この傾向に拍車をかけているのは実証主義の隆盛。データを取って分析するアプローチする実証研究は重要で強く推奨されている。しかし、中には学問としての問題意識に迫らないものもある。手間暇のかかる理論研究になかなか手をつけない。長期的視点に立った研究が少なくなっている。この問題は放置できない。小さいデータを取る研究であってもコツコツやって大きく育てる研究もある。若手研究者の研究姿勢にも反映される。理論研究の衰退して、ちょっと独立変数を変えただけの実証研究とかが出てきてしまう。
- 経営学はまとまりがなくなりつつある。現実に関するデータを収集して分類しているだけで、枠組みそのものを議論する姿勢が見られない。反知性主義。ものを考えない。「結果を出したいからやってるんです」とかいう学生もいる。
- 政府は多くの結果のわからない研究は不要と思われている。真意が伝わらないのは政府の文書に国語力がないから(笑)価値・理念・長期的視野に乗っ取ってやる。自然科学では所与の関係。
- 短期化思考が進んでいる。キャリアのことを考えるとそうならなざるをえない。
基調講演2「何を目指して研究するか?パブリケーション、インパクト、面白さ」淺羽茂先生
- 皆さんはいつもこのようなテーマを考えているんだろうなぁと思います。この場で良いことが言える気がしない(笑)大変反省している。研究業績の評価をどうするか?専門に研究したこともない。この講演を引き受けるに当たって、このテーマでいろんな議論をしていることを最近知ったくらい。
- 2年前まで組織学会の学会長をやっていた。組織科学という機関紙で、3月締め切りで優れた研究とは何か?という統一テーマで企画を練っている。そこで1本書くことになっている。
- 話はだいぶ格調が低くなってますが(笑)
- ジャーナルランクはいろんな種類があります。Web of Scienceで引用数を調べてみると、野中先生がすげえ。藤本先生は自動車の専門家で日本では有名な経営学者だけど引用数は100程度。海外のマーケットで最もアクティブな研究者 慶応の浅川先生で166、KBS清水先生がアメリカにいる間に書いた論文が886と大きくなっている。自分(淺羽先生)もあるんです。AMRではなんと278で、藤本先生より上行ってますね(笑)
- これらは専門家が評価するので、ある意味客観的にレビューされている。最近は理論研究がなされていないとの指摘もあったが、実証研究で論文を雑誌に投稿したときに「お前の理論的貢献はなんだ?」と指摘される。この理論的貢献を述べないと論文に載せられない。
Journal Publication
- PRJで評価しますとなったとき、ジャーナル駆動型リサーチばかりになる。学術的好奇心ドリブンリサーチではなくなる。国策としてPRJ重視になった結果、PRJを追い求めるようになった。外部環境として、質の悪い雑誌もたくさん増えてきた。この評価がなぜ悪いのかもよく考えた方が良い。絶対良いとは言えないけど。
- そもそも、たいしたことない論文だったら評価する必要がない。本数は量、被引用数が質を示している。論文の内容の質を引用数以外の中身で判断しようという話になると、誰が測るんですか?という問題がついてくる。それは誰が評価できるのだろうか?
- 会計の分野で論文を書いているのは経済学者なので、エコノミックジャーナルに載せられる。むしろ日本で問題なのは、論文誌に載せられない人がいっぱいいること。重視するという見解を出すのも議論として必要ではないか。
社会的インパクト
- ビジネススクールの国際認証で「PRJ何本もっている研究者が何人いるか?」と聞かれるが、それと同じく良く聞かれるのが教員の社会的インパクト。
- 指標が定まっているわけではないが、学会賞・民間のアワード・アマゾンのランキング・雑誌記事への登場・どれだけビューがあったかなどで社会的インパクトを計量する必要があるかもしれない。
- 「メディアに登場している人がいい研究をしている人だ」と言えるだろうか?金融機関系の研究所を出て政治家になって、今はまた研究者になっている。経済学者の中には「研究成果もないのにメディアでペラペラ喋る奴だ」と愚痴る。コメンテーターで薄っぺらい人もいるけど、中にはちゃんとした研究者もいる。スポットライト浴びて、上がることなくカメラの前で素人向けにわかりやすく説明するのは素晴らしい能力。そのような研究者はPRJと比較してどちらが悪いというのは難しいのではないか。
- 狭い領域で評価されるよりも、大きな評価をされる方が良いのでは?市場で受けるものしかやらないという評価になる。批判があるのも理解できるけど。
- ドラマの視聴率の上位をみると、シリーズもの・頑張る系・弁護士系・病院ものなど前作の続きになっている定番ものが占める。視聴率ばかりを追い求めると、市場にうける定番シリーズドラマしか出てこない。その一方で、アンダー7 (視聴率7%以下)のドラマは従来はダメだと評価されていた。今はネット上ではいろんな意見があり、賞さんの声が出ている。見ていない人はもったいない。自分はこれが好きだとネット上で声を出している。マジョリティには拡張できないが見ている人は見ている。研究でも同様ではないか。
面白さ・自分の考える重要性
- 鼻を効かせる・はやるものを見つける。恩師は「あの先生は鼻が利く」と評価されていた。これからの時流を読み、取り入れていち早くやることも大事。
- 1980年代のアメリカの経済学は合理的期待形成仮説(RE)が盛り上がっていた。RE学派の研究拠点になっていたミネソタ大学では学生がREの論文をコーランのように暗唱していたそうだ。外部から来た教員が授業をしようとしたとき、RE学派ではないと学生からブーイングがあって授業にならなかった。REと言わないと博士論文にならなかった。(宇沢先生 『経済学の考え方』1989)
- AOMでの会話で、ある学校のレセプションで有名な先生に「とにかくRBVを入れろ」とアドバイスされた。RBVは当時ものすごく流行った。入れておけば論文が通るかもしれないが、入れないと通らない。違和感を感じる人もいるだろう。
- そのようなアプローチはリサーチストラテジーとしては良いかもしれないが、それによって今まで解けなかった問題が解けるようになったのか?例えば、オープンイノベーションは現実でも学問でもやられている。話を聞いていると「それって当たり前じゃないの?」と感じるときもある。この問題を解いて初めてオープンイノベーションですよねっと言っちゃうと相手に怒られる(笑)
- 周りが何と言っても、あなたはつまらないと思ってなければ続ければ良い。心ある研究者は大事だと思って論文にしている。
- 3つの指針を示しましたが、どれでも良いんじゃないか。僕はこの3番目が一番大事だと思うけど、パブリッシュがたくさんあって威張りたい人ならそれでも良いのでは。決して悪くないこと。
若手研究者を招いて、ゲストたちと一緒にパネルディスカッションという企画自体は面白かったのだが・・・
流石に下打ち合わせ無しのぶっつけ本番というのは乱暴だったと思うなぁ。若手研究者のプレゼン時間はあるけれど、スライドは何もなく口頭のみ。ゲストから若手への質問が博士課程の修了要件だけだったのは、このフォーラムの趣旨からすると寂しかったかも。
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自分のFB投稿を振り返って見ると、田村さんの『ブスのマーケティング戦略』の販促をしてた1週間だったな(笑)
WBSでお世話になった先生方へ献本して回った週。樋原先生・淺羽先生・根来先生・牧先生・杉浦先生・池上先生には写真まで撮ってもらってFBで投稿させて頂きました。
入山先生・伊藤先生にも献本させて頂きましたが、タイミングが悪かったりカメラマン手配が抜けてたりで写真が撮れなかったのは残念。
ご協力本当に感謝。
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