2019年8月13日火曜日

20190813:科学技術の現代史

佐藤靖先生の「科学技術の現代史」読了。

第二次世界大戦の終わりから東西冷戦を経て現代に至る科学技術史を、科学技術開発の組織体制・リスクに対する国民の認識・イノベーション重視の風潮の3つの観点で解説。
20世紀の科学技術の起点となった米国の歴史の解説がメイン。

1.科学技術の形態と、それを開発し運用する組織体制との連関(システムの変化)


東西冷戦下で軍産複合体が主導となり、原子力研究や宇宙開発が重点的に進められた。当時は軍事・政治目的を主としており、経済目的は重視されない状況であった。通信やコンピュータも政府が主導して開発していたため、垂直統合型の巨大・複雑化システムができああがった。結果的に、巨大なシステムを統合して開発するシステム工学が導入されるようになった。
やがて東西冷戦の緊張緩和に伴って、軍事予算から拠出される科学技術予算も抑制されるようになった。原子力開発や宇宙開発は減速し、コンピュータを中心とする情報通信技術が登場し始める。
しかし、スペースシャトルチャレンジャー号の事故、チェルノブイリ原発事故、スターウォーズ計画の行き詰まり等、巨大科学技術に対する行き詰まりも生じるようになってきた。1つの国家・組織が大きなものを作る時代は終わり、IT技術を駆使しながら国際水平分業化・モジュール化・国際標準化が進展し、科学技術も経済もグローバル化・ネットワーク化が重要になっていった。
このように環境の変化に合わせて、フラットに分業しながら進歩する科学技術へとシステムが変化していった。


2.科学技術を支える社会的信頼のメカニズムの変化

戦後、エリート科学者と軍と政権の上層部は一体化しており、科学的な発言は一様であった。国民もその発言内容を信じて行動していたわけだが、1960年代末から主流な科学者の間でも見解が分かれて論争が起きるようになり、一枚岩ではなくなった。政府の推進する技術開発も絶対的なものではなくなり、科学技術は失敗することもあれば危害をもたらすこともあるというリスクについて認識するようになった。
放射線被曝や化学物質の摂取量など、過去は「ゼロにしなくてはならない」というリスクを完全に排除することを求めていたが、科学的にゼロにすることは現実的でないことも明らかになっていった。そこで科学的手法で定量的な指標を得て、リスクを一定の範囲で管理するように変化した。
科学は超然として社会と独立に存在するわけではなく、適切に社会や政治と関わり合って行く必要があるという認識になってきている。担当者の経験や直感にのみ依存するのではなく、客観的なエビデンスに基づいた政策形成を促す動きも出てくるようになった。


3.イノベーションの重視 イノベーションの源泉とみる 経済効果の追求

1970年代後半から米国経済の地盤沈下から、産業競争力強化や経済的価値を追求する科学技術が重視される流れになった。ベンチャー育成を支援するSBIR、連邦政府資金による研究成果を大学が特許化できるこをと明確化したバイ・ドール法の制定等で大学の知識を産業界に移転して経済効果を得るイノベーションが重視されるようになった。遺伝子組み換え等のバイオテクノロジーの発展とも重なり、民間企業の資金が大学に流入するようになった。
大学への公的資金支援は縮小しており、大学の研究者は競争的資金の獲得・産官学連携の共同研究・特許重視と経済的価値を生み出すイノベーションにつながる研究を重視する風潮が出来ている。


【考えたこと】
  • 科学技術の発展も外部環境の影響を受ける。国や地域によって発展しやすい学問があるのか?暗黙知が多いので地域に偏在するか?
  • 育成にふさわしい地域で教育された科学者が世界中に輸出されて、必要とされるところでイノベーションを起こして回るのだろうか?
  • イノベーションエコシステムとサイエンスエコシステムも異なっている?規制緩和やサンドボックス制度によってコントロールできるか?産業クラスターのように人為的に形成することは可能か?
  • ICT技術による国際水平分業と暗黙知による地域偏在、そのバランスはどこまで変わるだろうか?人の暗黙知の移転はどこまで変わっただろうか?もう飽和してないだろうか。



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